松岡新聞舗とは?
松岡新聞舗の歴史
販売所の沿革
昭和15年3月 |
松岡浩は学校教員(玉浦小学校)を退職、同年4月1日より新聞販売業を開業しました。 |
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昭和17年 |
当時の戦時統制令によって副業を営んでおられた渡辺店(河北)、那須店(中外商業)が
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昭和20年8月 |
終戦以後も共販制は維持され徐々に社会情勢の落ち着きによって三氏それぞれの店舗にて 当時復員した佐藤よね氏の次男佐藤憲次郎氏(現こばと幼稚園理事長)、 娯楽の少ない時代に子供たちに夢を与えた戦後初の博覧会 |
昭和30年 |
河北新報社がセット版を復刊し販売に入ると同時に、
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昭和32年5月 |
都市専売化の波に当地も専売制に移行、毎日新聞は佐藤民夫氏、
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昭和53年4月 |
河北新報店は松岡カツヨが昭和52年11月に死亡、 |
昭和55年10月 |
法人組織には昭和55年10月、資本金100万円で有限会社を設立。 岩沼販売所 松岡店 |
平成6年10月 | 岩沼店事務所改装 |
現在に至る |